海の市 山の市 2017 真庭イベントが24日
蒜山高原三木ヶ原特設会場で開かれた。県内外から約4万3千人の
観光客らが詰め掛けた。近畿を含めた8府県30市町の110団体が
計93の出店を開設しており、地元JA勝英も出店しており、なぎ
ビーフ串焼き、勝英地域特産品(作州黒大豆)加工品も出店
してありました。色々食べ歩き、高知名物カツオのたたきを
ゲットして帰りました。さすが本場のわらであぶった
カツオのたたきはとても美味しかったです。
これからオープニングセレモニーが始まる所
JA勝英
アマゴ塩焼き
カツオわらであぶっている所
1匹2万円もする金魚が販売していた
蒜山ジャージー牛ふれあい広場
2017年9月28日木曜日
2017年7月25日火曜日
2017年6月4日日曜日
福山ばら公園
1945年8月8日の空襲によって市街地の約8割が焼失し
多くの尊い命が失われました。戦後の混迷を抜け出せない中
戦災で荒廃した街に潤いを与え、人々の心に安らぎを取り戻そう
と市民と行政が協働し、南公園(現在のばら公園)にばらの苗
千本を植えました。ここから「ばらのまち福山」の歴史が始ま
りました。ではなぜ「ばら」の花だったのでしょうか。
光南町の中村金二さん(1894年~1954年)が1950年、自宅の
庭園にばら30本を植えたことが、福山にばら愛好家が増える
きっかけとなったと言われています。
ばらの花の見頃が少し過ぎていましたがまだまだ
多くの人が来られていた。
福山城にも寄って来ました。
多くの尊い命が失われました。戦後の混迷を抜け出せない中
戦災で荒廃した街に潤いを与え、人々の心に安らぎを取り戻そう
と市民と行政が協働し、南公園(現在のばら公園)にばらの苗
千本を植えました。ここから「ばらのまち福山」の歴史が始ま
りました。ではなぜ「ばら」の花だったのでしょうか。
光南町の中村金二さん(1894年~1954年)が1950年、自宅の
庭園にばら30本を植えたことが、福山にばら愛好家が増える
きっかけとなったと言われています。
ばらの花の見頃が少し過ぎていましたがまだまだ
多くの人が来られていた。
福山城にも寄って来ました。
2017年5月10日水曜日
しまなみ海道 愛媛今治
カンブリア宮殿で放送された愛媛今治、さいさいきて屋(道の駅)
に行って来ました。愛媛今治市にある農産物直売所
さいさいきて屋、地元の言葉で「何度も来て」という店名の通り
客を圧倒する豊かな品揃えを目当てに、今や年間120万人の人の
客が訪れる全国最大級の直売所として知られる。地元客だけでなく
わざわざ泊りがけで買いに来る熱狂的なファンもいる。
農家の方は売り上げの15%を払うことで、持ち込んだ農産物を
在庫の持ち帰り、リスクを心配することなく、安心して販売する
ことができます。売れ残った農産物も併設のカフェや食堂で活用
しますので、無駄がありません。つまり15%売り上げ手数料が
あるため、農産物が売れれば売れるだけさいさいきて屋は儲かり
農家さんもリスクなく商品販売ができるという
「ウィンウィンの関係」を築くことに成功したのです。
この水軍城は昭和58年12月1日に築城された全国でただ一つの
水軍城です。因島を拠点に南北朝から室町、戦国時代にかけて
瀬戸内海で活躍した村上水軍の往時をしのぶことができます。
ストックレスアンカー 4590kg 船舶用 1万トンクラス
タンカー コンテナ船数艘に使用
水軍資料館
村上水軍博物館 村上水軍は、日本中世の瀬戸内海で活動した水軍
である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした海域であり、後に大
まかに能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家へ分かれた。
彼らの多くは真言宗徒であり、京都などに数多く菩提寺が残されて
いる。また、今も瀬戸内周辺地域には村上水軍の末裔が多く住む。
能島水軍遊覧船乗り場
遊覧船桟橋
しまなみ大橋
道の駅 よしうみいきいき館からしまなみ大橋を眺める
しまなみ大橋のロープの形状
道の駅 さいさいきて屋
さいさいきて屋食堂
さいさいきて屋食堂
さいさいきて屋売り場
瀬戸大橋
に行って来ました。愛媛今治市にある農産物直売所
さいさいきて屋、地元の言葉で「何度も来て」という店名の通り
客を圧倒する豊かな品揃えを目当てに、今や年間120万人の人の
客が訪れる全国最大級の直売所として知られる。地元客だけでなく
わざわざ泊りがけで買いに来る熱狂的なファンもいる。
農家の方は売り上げの15%を払うことで、持ち込んだ農産物を
在庫の持ち帰り、リスクを心配することなく、安心して販売する
ことができます。売れ残った農産物も併設のカフェや食堂で活用
しますので、無駄がありません。つまり15%売り上げ手数料が
あるため、農産物が売れれば売れるだけさいさいきて屋は儲かり
農家さんもリスクなく商品販売ができるという
「ウィンウィンの関係」を築くことに成功したのです。
この水軍城は昭和58年12月1日に築城された全国でただ一つの
水軍城です。因島を拠点に南北朝から室町、戦国時代にかけて
瀬戸内海で活躍した村上水軍の往時をしのぶことができます。
ストックレスアンカー 4590kg 船舶用 1万トンクラス
タンカー コンテナ船数艘に使用
水軍資料館
村上水軍博物館 村上水軍は、日本中世の瀬戸内海で活動した水軍
である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした海域であり、後に大
まかに能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家へ分かれた。
彼らの多くは真言宗徒であり、京都などに数多く菩提寺が残されて
いる。また、今も瀬戸内周辺地域には村上水軍の末裔が多く住む。
能島水軍遊覧船乗り場
遊覧船桟橋
しまなみ大橋
道の駅 よしうみいきいき館からしまなみ大橋を眺める
しまなみ大橋のロープの形状
道の駅 さいさいきて屋
さいさいきて屋食堂
さいさいきて屋食堂
さいさいきて屋売り場
瀬戸大橋
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